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【日本人として知っておこう】阿Q正伝から解る中国人の特徴 その2

文化・歴史
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先日、靖国神社で中国人が石柱に「Toilet」とスプレーで書いた事件の動画を配信しました。この動画には多くのコメントが寄せられ、中には中国人の行為を称賛する声や、「警察官が少ない」「たまたまトイレ行きたくなっただけ」「日本人にとって大したことない」といった意見もありました。

彼らの支離滅裂な言い訳は、自分のメンツを立てるためのものであり、自分に向けて言い訳しているから他人がどう思うかは関係ないのだそうで、これは、中国の作家魯迅が「精神勝利法」と呼ぶ思考パターンであり、一見強そうに見えますが、実際はメンタルが弱く、自分のメンツを守るための自己防衛に過ぎないのだそうです。

魯迅はこの特徴を小説『阿Q正伝』に記しています。我々日本人には理解しがたい部分もありますが、彼らのメンツを保つための行動を理解することは、今後の時代において重要かと思い、前回『阿Q正伝』の第一章、第二章をご紹介しました。今回は第三章 続優勝記略からご紹介します。

それではどうぞ

阿Q正伝

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第三章 続優勝記略

阿Qは常に勝っているように見えたが、本当に名を売り出したのは、趙太爺との一件があってからのことだった。

200文の酒手を払った後、阿Qは腹を立てながら「今の世の中は親を殴る子供がいる。話になるものか」と寝ころんだ。しかし、もし自分が趙太爺の息子だったら、と思うと嬉しくなった。彼は立ち上がり「若い未亡人の墓参り」の歌を歌いながら酒屋へ向かった。この時こそ、阿Qは趙太爺以上の偉い人物になれた気がしていた。

おかしなことだが、それ以来、村の人々は彼を尊敬するようになった。阿Qは自分が趙太爺の父親だと信じ込んでいたが、実際にはそうではなかった。村の習慣では、名の知れた人物、例えば趙太爺のような人と関係があると評判になるのだった。阿Qが趙太爺に叱られたことで、村の人々は彼を尊敬するようになったのだ。

阿Qの勘違いは問題ではなかった。なぜなら、もし阿Qが本当に趙太爺の祖先だったらば、村人が彼を敬うのは当然のことだからだ。あるいは、阿Qが家畜同然の存在でも、偉い人間が関わればその対象は大切にされる、ということかもしれない。

それからしばらく、阿Qはえらそうにしていた。ある春の日、酔っぱらいながら町を歩いていると、垣根の下で王という男が裸で虱を取っているのを見かけた。阿Qも体にむずがゆさを感じ、そばに座った。王は禿げていて長い髪の毛を垂らしていたが、阿Qはその姿を馬鹿にしていた。いつもなら決して座らないが、王の前ならいい、と思ったのだ。

阿Qは服を脱ぎ、虱を探した。王を見ると、見つけた虱を次々と口の中に放り込み、歯ぎしりで潰していた。阿Qは最初は失望したが、やがて王をねたむようになった。「王のように見つからないのは恥ずかしい」と思い、何とかして大きなものを見つけ出そうと懸命に探した。やっと見つけた中くらいの虱を、口の中に入れてかみつぶした。しかし、その音は王のものにはかなわないものだった。

阿Qは頭のかさぶたをかきむしり、いかって地面に唾を吐いた。「この毛虫め!」と彼は叫んだ。

「やい、かさぶた男!誰の悪口を言ってるんだ」と王が見下しながら言った。

阿Qは最近、村の人たちに少し尊敬されるようになり、自分も少し偉くなったと思っていたが、いつも相手の顔を見るとやっぱり怖くなってしまった。でも、今回は違った。「こんなひげだらけの奴が偉そうに!」と思いながら立ち上がり、腰に手を当てて言った。「誰のことだか、知らないね」

「この野郎、殴られたいのか」と王も立ち上がり、服を着た。

相手が逃げ出すと思ったのに、王は阿Qに飛びかかってきた。阿Qは拳を固めて殴りかかろうとしたが、その前に腕をつかまれ、バランスを崩した。髪を引っ張られ、壁の方へ引きずられていき、いつものように頭を壁にぶつけられた。

「賢い人は言葉で戦って手を出さないんだぞ」と阿Qは首をひねりながら言った。

しかし、王は賢くないらしく、遠慮なく阿Qの頭を壁にぶつけて離した。阿Qはふらふらと遠ざかり、王は満足してその場を去った。

阿Qの記憶では、これは生まれて初めての屈辱だった。王は以前から阿Qをバカにしていたが、手を出したことはなかった。それが今では殴ってくるようになったのだ。どうしてこんなことになったのか、阿Qは理解できなかった。

阿Qはぼんやり歩いていると、錢太爺の息子と出くわした。この男は以前、町の学校に通っていたが、日本に行っていた。帰国すると、膝が真っすぐになり、辮子もなくなっていた。母親は涙を流し、祖母は3回も井戸に飛び込もうとした。母親は「悪い人に酒で酔わされて辮子を切られた。伸びるのを待つしかない」と言い訳した。

しかし阿Qは納得がいかず、この男を「偽毛唐」「外国人の犬」と罵っていた。特に気に入らないのが、まがった一本の辮子だった。祖母が自殺を止めたのは、良い女性ではないからだと思っていた。

この「偽毛唐」が近づいてくると、阿Qは「禿げ、驢馬(ろば)…」と口走った。阿Qは今まで心の中でだけ悪口を言っていたが、今回は思わず口に出してしまった。男は杖を持っていた。これは葬式の杖に見えた。阿Qは殴られると思い、構えた。すると本当に、ピシャリ、ピシャリと杖で頭を殴られた。

「あいつのことを言ったんだ」阿Qは近くの子供を指さした。しかしピシャリ、ピシャリの殴打は続いた。

これが阿Qにとって2度目の屈辱だった。しかし、すぐに気分が軽くなった。忘れっぽい性格が助けになったのだ。ぶらぶらと酒屋に向かうと、元気を取り戻していた。

そこへ靜修庵の若い尼が通りかかった。阿Qはいつもこの尼を見ると悪態をついていた。今回は屈辱の上に、いつもの癖が出た。「今日は運が悪くてお前に会ってしまった」と大きく唾を吐いた。

尼は無視して歩き続けた。すれ違いざまに、阿Qは尼の剃り髪を撫でた。「禿げ坊主!お寺に帰れ、和尚様が待ってるぞ」

「手を出すな!」と尼は真っ赤な顔で歩み去った。

酒屋の人々は大笑いした。阿Qはますます盛り上がり、尼の頬をつまんだ。さらに大笑いが起きた。阿Qは満足げに、力任せに尼を突き飛ばした。

王や偽毛唐のことは全く忘れ去り、今日の不運が全て晴れたかのように思えた。ピシャリの杖打ちより、身体が軽くなっていた。

「阿Qの罰当たりめ。お前の子孫は断たれてしまうぞ!」と尼は泣き声を上げた。

「ハハハ!」阿Qは満足げに大笑いした。酒屋の人々も笑い転げていた。

第四章 恋愛の悲劇

勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであればあるほど勝利の喜びを感じる。しかし、もし相手が羊のようなものだったら、かえって勝利の無聊(ぶらい)を感じる。また勝利者は、すべてを征服した後で、死ぬものは死に、降るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪」というような状態になると、敵も相手もなくなり、ひとりぼっちになって淋しさを感じる。ところが我が阿Qにはそんな欠点はなかった。おそらくこれは中国の精神文明が世界一流だという一つの証拠かもしれない。

見ると、阿Qはふらりふらりと飛び出しそうな様子だった。

しかし今回の勝利は、阿Qに少し変な感覚を与えた。彼はしばらくふらふらと浮遊していたが、やがて土穀祠(どこうしく)に入った。普段なら寝転んで睡眠を取るのだが、なぜかその晩は眠れなかった。阿Qは親指と人差し指がいつもより太く感じ、変な感触があった。若い尼の顔の脂が指につきついたのか、または自分の指が尼の肌にこすれてつるんとしたのかもしれない。

「阿Qの罰当たりめ。お前の子孫は断たれてしまうぞ!」この尼の声が阿Qの耳に残っていた。

「ちげえねえ。一人の女がいないとダメなんだ」阿Qはそう考えた。「子が絶えれば、死後に供えるものがいなくなる。女がいないとな」

中国の古典に「不孝には三つの種類があり、子孫がいないのが最悪」とある。「若敖之鬼餒而」つまり子や孫がいないのは人生の大きな悲しみだ。だからこそ阿Qもそう考え、聖賢の教えに従ったのだが、惜しいことに「心の駒を引き締めることができなかった」。

「女、女…」阿Qは想った。「和尚(陽器)は動く、女!女!」

いつ頃になって阿Qが眠ったのかわからないが、それ以後、彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなくなった。女というものは人に害を与えるものだということがわかる。

中国の男子は皆、聖人になる資格があるが、女に惑わされて駄目になってしまうのが惜しい…。

商は妲己のために騒動が起きた。周は褒じのために滅んだ。秦は歴史に出てこないが、女のために滅んだと言っても過言ではあるまい。そして董卓は確実に貂蝉のために殺された。

本来正しかった阿Qだが、どこの師匠に教えを受けたのか分からない。彼は平素から「男女の区別」を守り、異端を排斥する正気があった。例えば尼や偽毛唐(坊主頭の男)が憎いのだ。阿Qの学説では、すべての尼は和尚(坊主)と不倫関係にある。女が外出すれば必ず男を誘惑しようとする。男女が話をすれば必ずよからぬことになる。だから阿Qは彼らを罰する考えで、怒った目で見たり、大声で迷いを正したり、密会の場所に石を投げ込むこともあった。

ところが三十歳になった阿Qが、若い尼に夢中になって精神がふらふらしてしまった。この”ふらふら”した精神は道徳に反するものだ。だからこそ女は悪しきものなのだ。もし尼の顔が脂ぎっていなければ、阿Qは誘惑されずに済んだろう。5-6年前、阿Qは舞台の女の太ももに足を挟まれたことがあるが、ズボンが隔てていたおかげでふらふらにはならなかった。しかし今回の若い尼はそうではなかった。これを見ても異端の悪しき所以がわかるだろう。

阿Qは「この女は絶対に男を誘惑する」と常日頃から気をつけていた。しかし尼は一度も阿Qに笑顔を向けなかった。そして男女の会話の中に艶っぽい言葉は絶対に出てこなかった。ああ、これこそが女の悪しき所以なのだ。彼女らは皆”偽善”を身にまとっていた。そう考えながら阿Qは「女、女!」と想い続けた。

その日阿Qは趙家で米を搗いていた。夕飯を済ませると、台所で煙草を吸った。他の家なら夕飯の後はすぐ帰るのだが、趙家の夕飯は早い。通常なら、この後は火を点けずに寝るのだが、例外もあった。一つは趙太爺が秀才試験に受からなかった頃、文章を読むために火を点けさせてもらえたこと。もう一つが阿Qが働きに来た時、米を搗くために火を点けさせてもらえたことだ。この二つ目の例外のおかげで、阿Qは米搗く前に台所で煙草を吸っていた。

呉媽は趙家の女中だった。皿を洗い終えると、阿Qと無駄話をした。

「奥さまは2日も御飯を食べていませんよ。旦那は小妾を買おうと思ってるんですって」
「女…このチビ女め」阿Qは思った。
「うちの若奥さまは8月になると赤ちゃんが生まれるんです」
「女…」阿Qは想った。

阿Qは煙管を置いて立ち上がった。呉媽がまだしゃべり続けている時、突然阿Qは強要してひざまづき、呉媽に迫った。

「俺と寝よう!」

一瞬、まったく静まり返った。呉媽は戸惑っていたが、やがてガタガタと震え出した。

「あれーッ!」呉媽は外に走り出し、泣き声を上げながら逃げた。

阿Qは壁に向かってひざまづいたまま、無性に腰を上下させ始めた。煙管を帯の間に挿し込み、米搗きに行くかどうか迷っていると、頭上から太い物体が落ちてきた。

振り返ると、趙太爺の息子(秀才)が竹の棒を持っていた。

「キサマは謀反を起こしたな!この畜生…」竹の棒が阿Qの頭を襲った。

彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。

「忘八蛋」

後ろの方で秀才が官話を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専らお役所のお歴々が用るもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。

しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物をぬいだ。

著物を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳出して行った。だんだん側へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集まっている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂や本当の本家の趙白眼、趙司晨などもいた。

若奥さんは下部屋からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」
鄒七嫂も側から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません」といった。

呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯をするかしらんて?」
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐けて跳び出して来た。

阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間に彼はもう土穀祠の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。

そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ。おまえの振る舞いは酷い。趙家に賠償しなければならん。」

そして5つの条件を出した…。

村長から出された5つの条件は以下の通りだった。

1. 明日、趙家に赤蝋燭一対(1斤の物)と線香一封を持参し、謝罪すること。
2. 趙家で道士を呼び、首縊りの祟りを祓わせる(道士の費用は阿Qが払う)。首縊りの祟りは最も怖ろしい悪霊で、阿Qが呉媽を求めたのもこの祟りが原因と見なす。
3. 今後、二度と趙家の敷地に足を踏み入れないこと。
4. 呉媽に何か被害があれば、阿Qが責任を取ること。
5. 阿Qは今回の出来事に関する報酬を要求できない。

阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無かった。幸い春でもあるし、要らなくなった古い棉の入れ物を2000文で質に入れ、条件を履行した。そして裸になって趙家で謝罪の作法を行った。

作法を終えた後、阿Qにはまだ少し金が残っていたが、帽子を買い戻す気はなく、残りの金はすべて酒に注いで一気に飲み干した。

一方の趙家では、もらった赤蝋燭と線香は使われずに、大奥さまが仏参りの日まで貯め込んでいた。そして阿Qの破れた上着の大半は、若奥さまが8月に生んだ赤ちゃんのおしめに使われた。その残りの切れ端は呉媽の草鞋の底に使われたのであった。

 

 
本日はここまでになります。

 

 

第三章では、阿Qが自己防衛のためにどのような行動を取るのかが詳細に描かれており、その中で彼が村人たちに敬われるようになった経緯や誤解、そして自身の勘違いが描かれていましたね。

阿Qは自分の行動を正当化し、自分自身に言い聞かせることでメンツを保とうとする。しかし、実際には村の習わしによって敬われていたに過ぎないことを彼は勘違いしています。自己防衛のための誤解や誇張がどのようにして形成されていくかが理解できました。

また、阿Qは喧嘩で負けたにも関わらず、自分の中で勝利を感じるシーンは、彼の「精神勝利法」の典型的な例でしたが、彼は自分が偉い人物になれたと錯覚し、その錯覚によって一時的に自己満足を得ていましたね。しかし、周りの村人たちはその実態を知っており、彼を本当に尊敬しているわけではありません。このような自己満足と実態のギャップは、魯迅が描く「精神勝利法」の核心部分が如実に表されていました。

次回は第5章 生計問題 からになります。
お楽しみに。

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